どうしてFPになった?

家計見直し・資産形成・資産運用で家計改善 FP うらのまさこです!

近年マネーコラムを執筆する機会が多かったので、今まで寄稿した内容を整理してみたいと思います。

というわけで、今回は

自己紹介も兼ねて、私とFPとの出会い

についてお話しますね。

うらのまさこ FP ライフプラン

私は現在名古屋(正確には名古屋市の隣の蟹江町)在住ですが、大阪生まれの奈良育ち。
四天王寺高校→関西大学商学部卒のコテコテの関西人です。

私立の高校、大学に行きましたが、まったく家計に余裕があるわけではありませんでした。
しかし母が自分の果たせなかった夢「大学進学」を叶えたく、私の教育にお金をかけてくれました(当時は進学率も低かったので本当に価値があり、親に感謝です)。


そういうお金にシビアな家庭事情もあり、私は早い時期からお金に人一倍興味がありました。

大学進学時は1985年(ああ、歳がバレますね 笑)、男女雇用機会均等法ができる前年。
女性の社会進出というキーワードに惹かれ、現場でバリバリ働けそうな、マンション事業最大手の長谷工コーポレーションに就職しました。

入社した1989年はバブルのピーク。
販売センターに1日数千人が詰めかけ、購入申し込みに社員1人あたり100組接客し、抽選は何十倍にもなり、といったことが関西一円のあちこちで起こりました。

職場の諸先輩方も羽振りよく、マンションは買うは、証券会社に出入りするは、で、私も自然と「投資」に意識が向く環境に置かれ、銀行や証券会社デビューを果たします。

それからの30年、私の投資人生は紆余曲折あり、本当にいろいろな経験をしましたが、それらは追って披露しますね。

さて翌年バブルが弾けるタイミングで、私はマンション販売の部署から仲介店舗に異動になります。

6000万円もの値を付けていたマンションが、数ヶ月で3~4000万円まで下落していく様は、仕事をしていてなかなか衝撃的でした。

さてその時点では「失われた20年」になるとは誰も予想していなかったわけで、私の仕事は「このくらいの価格の家がほしい!」というお客様にひたすら予算に合う物件を探して買っていただく、それだけ。

私がライフプランニングの重要性に気づき、お客様にキャッシュフロー表を通じて人生とお金のよりよい関係創りのきっかけを提案するという、FPへの道に進むのは、もっと先になります。

結婚、退職、そして夫の転勤で名古屋に引っ越し、出産。
子育てだけでない「何か」を探していたとき、ちょうど生命保険の更新時期に当たりました。

10年前の独身時代に、職場に来た保険のセールスレディから言われるままに加入した保険。
夫の場合は扶養家族がいますし、私の場合は専業主婦ですから、

これって適正な保障額なの?

そもそも内容もよくわからないぞ?

保険料も上がるようだしどうしよう?

そんなとき、職場時代の先輩が独立して大阪で保険の乗合代理店を始めたことから、「FP」という存在を知りました。

保険の見直しを受けて痛感したこと。

「お金のこと知らんって、なんて損なんや~!」

お金について知りたくて、さっそく通信講座を始め、日本FP協会認定 AFPと国家資格 2級ファイナンシャルプランニング技能士を取得。

翌年の2005年に「FPオフィス ア・デザイン・フォー・ライフ」を開業しました。

6年しか社会人経験がないただの子育て主婦、しかも名古屋に人脈のない私が、なぜいきなり起業?


幼稚園児を育てながら就職するのは難しいし、そもそもFPの求人ってどこであるのかわからないし、とりあえずやってみよう♪

と、今から考えると無謀極まりない!よくやったな~と思います・・・(汗)


ですが、

「お金のこと知らんって、むっちゃ損なんやよ~!」

を伝えたい想いで、今も仕事に取り組んでいます。

現在は、日本FP協会認定の国際ライセンス CFP®と国家資格 1級ファイナンシャルプランニング技能士、不動産取引の国家資格 宅地建物取引士、証券外務員2種などの資格を保有しています。


2010年に法人化し、ザ・ヴィジョンクエスト株式会社として、今に至ります。

さて2020年代に入り、

人々の情報格差が広がってきています

「社会そのもの」や「お金」の存在や価値観に、今までと異なる変化を感じる中、これからどのような世界が待ち受けているのか、私もわかりません。

しかし、

どのような世の中になろうとも、自分で考え判断する、自立して生きていく人を一人でも増やしていくお手伝いをしたい。

微力ではありますが、そう思っています!